「企業経営」で培った方法を教育に!――「理科教育助成」実施校の先生に聞く(第4回)神奈川県横浜市立権太坂小学校
学校の先生たちが、みんなでおなじ目的意識を共有し、その目的に向かって教育活動に取り組んでいく――。これは理想的な状況かもしれませんが、実現するのは簡単なことではないでしょう。
今回、私たちは「めざす子どもの姿」を先生たちが議論して明確にし、その達成のために具体的に取り組んでいる小学校の先生たちにお話を聴くことができました。
横浜市立権太坂小学校は、日産財団の理科教育助成の対象校。理科教育助成を受けたことを機に、先生たちが理科教育のあり方やしくみを見直しました。さらにその成果を他教科にも広げようとしています。
先生たちが、どのように「めざす子どもの姿」を共有し、それを実現するための取り組みに至ったのか。そこには学校の理念といえる「学校教育目標」を行動の原点とする、一貫した考え方がありました。取り組みの推進役の一人、佐藤真之先生にお話を伺いました。校長の武田浩美先生にも同席していただきました。
企業就職、起業を経て、小学校の先生に
――まず、佐藤先生のご経歴をお聞きします。
佐藤先生(以下、敬称略) 私は大学の経済学部を卒業し、ベンチャーキャピタルに就職しました。その後、人材会社を7人の仲間で設立し、9年ほど、その企業の経営をしました。営業、経理、人事などの仕事をすべて自分たちでしてきました。
――民間企業で長らく勤めてきて、どうして学校の先生に?
佐藤 自分の力が社会でどこまで通用するかという思いで起業し、会社は大きくなりました。そのなかで、人のこと、売上のこと、さまざま取り組んできたことが、自分の糧になりました。「これからは、社会に出ていく子どもたちのために、教育の世界でそうした糧を生かしていきたい。必要な資質・能力を、教師として子どもたちに伝えて貢献しよう」と考えたんです。それで、教師に転職しました。
――企業の経営に携わったことを、どのように子どもたちへの教育に活かせると考えたのですか?
佐藤 子どもたちの「問題解決能力」を養うということです。たとえば、企業活動では、「Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(確認)→ Action(改善)」を繰り返していく「PDCAサイクル」の考え方があります。理科の授業でも、問題に対する予想を立て(Plan)、実験や観察をして(Do)、結果を振り返って(Check)、さらにやってみる(Action)といった進め方をしますので、PDCAを学びやすいと思うんです。
他の教科でも、国語であればレポートをつくったり発表したりといったことは、企業活動での問題解決に必須です。すべての教科で問題解決力を育成できると考えています。
企業にいたころ、自分なりに仲間のみんなと問題解決をしてきた自負はあるので、その経験を子どもたちのために活かしていきたいと、教員になる前も、いまも思っています。
理科教育助成をきっかけに「教え方」や「広め方」をつくる
――理科教育助成で取り組んだことをお聞きします。
佐藤 着任前のことですが、横浜市教育委員会の指導主事の先生が授業の視察に来られたとき、「権太坂小の先生たちは熱意をおもちだから、日産財団の理科教育助成に応募してみたら」とおっしゃったんです。それで応募して、助成を受けられることになりました。
けれども、当初は、どう教えていくかの視点があまり定まっていない状況でした。「助成を受けている以上は、ちゃんとやらないと」という意識が先生たちに強く、議論を深めていきました。
――視点を定めるため、どのように議論をされていったのでしょうか?
佐藤 権太坂小学校には「重点研究計画」というしくみがあります。とりわけ重点化する教科を定め、3、4年をかけて取り組むもので、2014年度からは生活科・理科が重点研究の対象でした。
そこで、重点研究の一環で、理科の授業における「問題解決のプロセス」を検討し、教えるうえでの視点を定めていったのです。問題解決のプロセスを、「1 問題把握」「2 予想する」「3 実験・観察方法を考える」「4 実験・観察の記録」「5 結果を話し合う」「6 分かったこと・考えたこと」という6つの場面に分け、それぞれについて「めざす子どもの姿」を学校として決めたのです。
たとえば「予想する」については、「自分の生活体験や既習事項を根拠にし、問題に対する自分の考えをもてている」などです。
それぞれの先生は「私は『4 実践・観察の記録』に取り組みます」といったように宣言して、理科の授業に臨みます。そうすることで、どう教えるかの視点が明確になりました。
視点を明確にした授業に臨んだあと、講師の先生からアドバイスもいただき、先生は数日内に「みずみずしい速報」というレポートを出します。成果、課題、講師の先生からのアドバイスを書いて、それを先生たちで共有していくのです。「手立て集」ができるくらいレポートは貯まりました。得られたことを文章にすることで、ポイントが整理され、振り返りもできます。
考えや行動の軸は、学校教育目標
――先生たちが「問題解決のプロセス」や「みずみずしいレポート」を共有し、学校全体で活用しているわけですね。個人でなく集団で取り組めるのはどうしてでしょうか?
佐藤 学校内で重点研究の企画運営を担う「推進委員会」があり、各学年の委員の先生が取り組む目的をまずきちんと共有します。そのうえで他の先生たちにも提案します。突発的に「今回はこれをやるから」と伝えるのでなく、議論をして「必要だからやるのです」と伝えることで、先生たち全体の取り組み意識を高めています。
――なにを「必要だからやる」の根拠にするのでしょうか?
佐藤 学校教育目標です。教育活動の軸ですからね。
権太坂小学校の学校教育目標は、「自分が好き 友達が好き たくましく伸びる 権太坂の子」です。ずっと前からあったものですが、私たちはこの学校教育目標を、いまの目の前にいる子どもたちの実態に合わせて、見つめなおすことにしました。先生たちみんなで、いまの権太坂小の子どもたちの課題や長所を分析し、これからの子どもたちに身につけさせていかなければならない能力はなにかと議論を重ねました。
そして、この学校教育目標を具体化させていきました。たとえば「自分が好き」に対して「自分の思いや願いをもち、生き生きと活動する姿をめざします」といった、より具体的な目標を立て、そのためには「自分のことを知る力」を養わせることが必要と定めました。「友達が好き」や「たくましく伸びる権太の子」の部分についても同様です。
さらに、それぞれについて具体的にどういう能力を身につけさせたらよいかを考え、成長の過程とともに重点的に伸ばしていきたい資質能力を記した「イメージシート」をつくり、これもすべての先生で共有しました。保護者と子どもたち自身にもこうした取り組みをすることを伝え、意見を得るためのアンケートを実施しました。
――学校教育目標について、そこまで深く考えたのですね……。
佐藤 たしかに学校教育目標の文言は漠然としたものかもしれませんが、企業でいえば経営理念にあたる重要なものです。自分がなんのためにそこで勤務し、なにをそこで提供するのかといった行動の根幹にあたります。ですので、学校教育目標を軸に、それを具体化する目標を定め、それを子どもたちに身につけさせるために日々の授業のアクションを考え、実際に行うわけです。教師が取り組むことを、すべて学校教育目標から逆算して定めていくという考え方です。
学力や学習意識のデータを駆使
――先生たちの取り組みに効果があったかどうかを、どう把握されているのですか?
佐藤 横浜市は「学力・学習状況調査」を実施していて、学校は毎年、学力調査と生活・学習意識調査のデータをいただいています。これらのデータを重視しています。主観ではなく根拠にもとづいて検証することを大切にしています。
横浜市の調査では、毎回おなじ質問がなされるので、子どもたちの学習意識の経年変化がわかります。たとえば、5年生への「理科の学習で考えたことを文や図で表現することは好きですか」という問いに対し、権太坂小では「好き」「どちらかといえば、好き」と答えた子が年々増えてきているといったことがわかります。子どもたちの強いところや弱いところ、また成績が上がっているところや下がっているところなどを定量分析できるわけです。
――そうしたデータも先生たちは共有するのでしょうか?
佐藤 はい。学校の一室に先生たちが集まって、自分が受けもつ学年のテストの結果を分析し、ほかの先生たちにプレゼンテーションをします。そして、データをもとに仮説を立てて、対策をとっていきます。
また、保護者の方々にもデータをすべて見ていただいています。学校説明会のとき、学年主任の先生がプレゼンテーションします。
さらに、こうしたデータ分析の結果を、連携している学区ブロックの境木中学校や境木小学校の先生たちとも共有し、一貫した教育に向けての材料としています。
――データを重視されるのはどうしてですか?
佐藤 会社づとめ営業の方がなにか提案するにしても、根拠がなければモノは売れませんよね。横浜市がよいものを提供してくれるのだから、それらを考えや行動の根拠に生かさない手はありません。データからは発見があるので、ほかの先生たちも「やってみるとおもしろい」と思っておられるみたいです。
理科で得た成果を、他の教科にも
――先生たちがこれまで理科で取り組んでこられたことを、どう展開しようとされていますか?
佐藤 2018年度から、重点研究の対象が「総合的な学習の時間」となりました。理科でつくった「課題解決のプロセス」などのしくみを、ほかの時間や教科でも広げていければと考えています。
――総合的な学習の時間でも、問題解決のプロセスを場面ごとに分けて、「めざす子どもの姿」を決めていくわけですか?
佐藤 はい。理科の場合と大きくは変わりません。とはいえ、授業の形式や型がある程度は決まっている理科とちがって、総合的な学習の時間では、教えることの自由度が高い分、むずかしさも感じますね。
――初年度、どのように取り組んでこられましたか?
佐藤 試行錯誤が続いていますが、先生たちみんなで話し合って、ひとつの仮説を立てました。「子どもたちが魅力的な地域の材と出合い、主体的・対話的活動に取り組めば、問題の発見・解決能力を身につけられるのではないか」というものです。「地域の材」というのは「地域に存在する、考えるべきテーマ」のようなものです。
この仮説のもと、私のクラスでは、子どもたちが考えて「権太のまちで生き残れ!」というテーマで取り組んでいます。私たちの街で大きな自然災害が起きたとき自分の身をどう守るかといった課題のもと、町を探検して、どんな災害がどこで起きそうかを調べています。
――さらに今後、どう発展させていければと考えていますか?
佐藤 新しい学習指導要領が実施されるので、新たなカリキュラムに得られた成果をどう生かしていくかは、これからの課題ですね。国がこれから出す指針などを、権太坂小学校の場合に当てはめながら、教科ごとに指導内容をつくっていかなければと思っています。
理科についても、重点研究の期間で取り組んできた実績はありますが、その成果をカリキュラムに落とし込んでいかなければなりません。研究成果の蓄積である「手立て集」が、カリキュラムに入っていくようにしていければと思います。
●コラム:「理科教育賞」大賞を祝う横断幕が子どもたちの励みに
権太坂小学校は、日産財団の理科教育助成の対象校。そのなかでも、とくに多大な成果をあげたと評価されたことから「第5回理科教育賞」の大賞受賞校となりました。私たち日産財団はこれを祝って「祝 大賞受賞」と記した横断幕を贈呈しました。
同校の体育館でおこなわれた大賞の盾と賞状の贈呈式では、体育館の舞台に幕を掲げていただきました。
その後は、校門のところに掲げていただきました。子どもたちはこの横断幕を見ながら毎朝、登校しているとのこと。「自分たちは日本一になったんだって自信をつけていますよ」と佐藤先生。
横断幕をつくってから、「あれっ、ちょっと大きすぎたかな……」と心配しましたが、学校の風景に溶け込んでいるみたいでホッとしました。