子ども、保護者、先生たちと語りあう 「学校のイマ・ミライ〜多様な可能性編〜」を開催!

日産財団は2020年8月30日(日)、早稲田大学Future of Education研究会とともにオンラインセミナー「学校のイマ・ミライ〜多様な可能性編〜」を開催しました。学校の「今」そして「未来」について、小学生から大学院生までのみなさん、それに保護者や教員たちが、早稲田大学教授の池上重輔先生やスタディサプリ講師の伊藤賀一先生と語りあうセミナーです。定員を超える700人ほどのみなさんがオンラインで参加し、おおいに盛りあがったセミナーのようすをお伝えします。司会は、池上先生のゼミ修了者の川嶋治子さんにつとめていただきました。

池上重輔先生によるセミナー「未来と世界の視点とリアルをつなぐ」

みなさんは、学校や学びがいろいろ変わってきているのを感じているのではないでしょうか。新型コロナウイルスで授業がオンラインになったり、お休みになったりということもありますが、より奥底で大きな変化が起きていることも感じているかもしれません。

けれども、世の中はただひとつの変化だけで変わるものではありません。政治、社会、技術など、さまざまな変化がいくつもあります。今週は安倍晋三首相が辞任を表明し、7年以上にわたり続いた政権が変わることになりました。これも世の中が変わる前触れかもしれません。

いくつもの変化が起きていることを、俯瞰することが大事になります。上から見ると、「あそこにあの人がいるんだ」といったように「地図」が見えてくるからです。私たち大学の先生の仕事の一つはは、地図をみなさんに渡すことにあります。

それと同時に、リアルに地図の上の道を走ることも必要となります。あとで伊藤先生にリアルなものごとについて話をしてもらいます。それにより、地図の世界とリアルの世界がつながっていることがみなさんにもわかると思います。

池上重輔(いけがみ・じゅうすけ)先生。早稲田大学大学院大学院経営管理研究科教授。経営戦略やグローバル経営を専門分野とし、企業幹部の教育をするとともに、実家が営む学校の経営をサポートしている。責任者をつとめる早稲田大学Future of Education研究会では、リーダー人材に必要な能力と教育方法の調査研究などに取り組み、報告会などで成果を発信している。

未来のことについていろいろな人がいろいろなことを言っていますが、実際のところ多れる予測も少なくありません。けれども、たとえ外れるとしても、みなさんは予測をしていかなければなりません。世の中の変化のなかで、いろいろなことを選択しなければならないからです。

これまで、われわれは、その先になにが起きるかなんとなく見えるものを選んでいました。「文系を選ぶとこうなるだろう。理系を選ぶとこういう将来が待っているだろう」といったように。けれども、これからは、そうしたことが見えにくいなかで選択しなければならない世の中になっていきます。そして、そもそも文系・理系の区分け自体が意味のないものになる可能性もあります。

外れる可能性があることを承知でひとつの予測を言うと、家庭、仕事、学校といったものが、だんだん一体になってくるでしょう。すでに、これらの垣根がなくなる感覚をもっている方もいるかもしれません。では、そのとき、どのような準備をすればよいでしょうか。

結論を言うと、「柔軟に学びつづけること」が大事になります。新しいことや変わることに対して、新しいやり方や学び方を得て、「ああ、いいね」と思って進んでいくことです。それが「学び力」だと思います。この力があれば、どんな変化や選択にも対応していくことができます。

変化の方向性を、みなさんと共有したいと思います。ここに、縦軸に「どの地域が世界経済全体のどのくらいを占めたかの割合」、横軸に「紀元後2000年分」をとったグラフがあります。すると、最初の1000年ほどは、世界経済の半分が中国とインドで占められていたことがわかります。では、日本はというと、世界経済の10%以上を占めた時期は、1960年から2010年ごろまでしかありません。それ以外の時代は、日本は世界経済で重要な位置にいることはありませんでした。その間も日本は相応の社会を構築していました。そう考えると、いま日本の位置が落ちているという話も、そんなに困ったことではないのかもしれません。

日本は、これから人口が少なくなっていくと予測されています。人口が少なくなると、経済的な露出や、世界での位置づけは下がるかもしれません。でも、食料がたくさんは要らなくなるから自給率の低い日本にとって悪いことではないかもしれません。

いまの大学生のみなさんが、私とおなじ50歳台になる2055年のことを予測した「人口ピラミッド」がここにあります。この人口ピラミッドでは、年齢の高い世代が重く、低い世代が小さく描かれています。これをみなさんはどう捉えますか。

「70歳上世代の人がいっぱいで、すごく重たそうだな」と思うかもしれません。でも、「すごく活躍できそうだ。歳上の人たちがつくってきた技術も、信用の蓄積も日本にはある」と考えると、すごくチャンスがあると思えるのではないでしょうか。いま進んでいる、自動運転、ドローン、シェアリング、3Dプリンタ、AI、素材、金融工学、ネットワーク、ナノテクノロジーなどの技術をどう使うかで、みなさんの未来は変わってきます。

 なんのために勉強や仕事をするのでしょうか。ひとつは「幸せになるため」です。いま経済学では、研究者たちが「人間は幸せになろうとしているのではないか。でも、幸せってなんだっけ」とあらためて考えるようになり、「ハピネス」や「ウェルビーング」をあらためて定義しようとしています。

世界40か国以上で子どもたちに取った世界的なアンケートを見てみると、「勉強のでき具合」と「幸せの度合」がかならずしも結びついてはいないということがわかってきました。たとえば、コロンビアは「勉強はできないが幸せ」という結果になりました。一方、韓国のように「勉強はできるが幸せでない」という結果になった国もあります。日本はというと、若干ながら幸せの度合が高いほうでした。
自分や自国を深く見る視点ももちろん大事です。同時に大きく見ると「世界のなかで日本はこのくらいだ」という視点の両方を持ってもらえるとよいかと思います。

 

伊藤賀一先生によるセミナー「リアルプレイヤーの視点」

私は、個人で活動しているフリーランスの者です。「スタディサプリ」を提供しているリクルートさんとはフラットな関係にあります。仕事のメインは講義と著述ですので、いつも受講者や読者のみなさんの目線に合わせようとしています。

「大学受験生という受講者たちを相手に仕事をするのであれば、いま大学教育がどうなっているかを自分自身で体験したほうがいい。ミクロの視点からものが言えるのではないか」と思い、43歳でふたたび大学に入学し、学んでいるところです。

伊藤賀一(いとう・がいち)先生。リクルートの学習Web「スタディサプリ」社会科講師。「社会科を爆笑させる風雲児」との異名をもつ。これまで東進ハイスクールなど多数の映像講座・予備校・塾・高校などで講師をつとめる。43歳で一般受験し、現在、早稲田大学教育学部生涯教育学専修に在学中。著書多数。

社会に出た人が学校などに戻って学ぶ「リカレント教育」が流行っています。教育モデルには「フロントエンドモデル」、つまり人生の若い時期に学び、それを生かして仕事をして、定年後にまた学びなおそうとする一方通行型のものもありますが、これに対して「リカレントモデル」は、蛇ののたくり型のように、社会で活躍している時期でも学びたいときに大学に戻って学ぶことを指します。

 私は43歳で早稲田大学教育学部を受験し、生涯教育学専修で学んでいます。中国語の単位を落として留年もしていますが(笑)、「これで留年した人の気持ちがわかるようになる」と捉えています。あらゆる経験は無駄にならないので、あらゆることを経験したいと考えています。

 職業についてもリカレントを意識しています。30歳まで東進ハイスクールの講師をしていましたが、その後、全都道府県で住み込みをし、第1次産業から第3次産業までを経験しました。たとえば、温泉旅館の従業員となり、おじいさんおばあさんから子どもまでのお客さんと接して、いろいろなものごとを知ることができました。

 そうした経験をするなかで、「いろいろなところに地域や世代のギャップやボーダーがあるものだ」と気づきました。たとえば地域については、田舎に行くほど関西弁をしゃべっていると「信用できない」と思われたり、別居婚をしていると「ありえない」と思われたりします。また、世代については、若い人ほど「男だから、女だから」といったジェンダーギャップがないことを感じます。

おなじひとつの世界であっても、見方によってふたつの世界になるものだと思います。そのふたつの世界とは、「後向きの世界」と「前向きの世界」です。このふたつがあるということだけでもみなさんに知ってほしいと思います。

たとえば、オンラインの授業について「後向きの世界」では「意味がない」と思われるかもしれません。でも「前向きの世界」では、Zoomでつながれたから、みんなに出会えていると捉えることができます。

調子がよくて「後向きの世界」のことを考えない人もいます。でも、それはそれで、若い人たちには発想や視野を広げていってほしいと思います。

さきほど池上先生から、「これからは、見えにくいなかで選択しなければならない」というお話がありました。とくに新型コロナウイルスが広まってからは見えにくい時代になってきています。そうしたなかでも「マクロの視点」と「ミクロの視点」の両方があって、それぞれで世界の見え方がちがってくるということを知っておいてほしいと思います。そのようにして頭の枠を広げれば、なにかにチャレンジするとき勇気が出てくるのではないでしょうか。

良い悪いは別として、2007年の時点で、安倍内閣が7年8か月も続くとだれが思っていたでしょうか。マツコデラックスさんがテレビで天下を取るとだれが考えたでしょうか。茶髪弁護士だった橋下徹さんがこれだけの重要な存在になっているとだれが見ていたでしょうか。予測できない未来がどんどん出てくるわけです。でも、安倍さんもマツコさんも橋下さんもみんな状況を切りかえさせたわけです。リスタートやリボーンは認めようという寛容さは社会にあるものです。みなさんも、未来をさほど悲観せず、答えのない答えを勇気をもって選んでいってほしいと思います。

 

視野を広げるためのパネルディスカッション

――セミナー参加者みなさんが、「全体を見る」といった新しいものの見方を身につけようとするとき、どのようなことから始めたらよいでしょうか。

池上:いろいろな人と話をすること、できれば意見のちがう人と話をすることが、全体を見るためのひとつの要素になると思います。視野が広がっていくからです。もうひとつは、知識を広げることで、ホリスティックな、つまり全体を捉えるような見え方ができるようになると思います。

伊藤:やっぱり、いろんな人と出会うことは大事です。そのとき自分に壁をつくらないことが大事です。自分はオムレツが好きだけれど、相手が天津飯を好きであるなら、「天津飯いいですね」と相手によろこんで接近していくマインドをもてるといいですね。「ちがうから楽しいんだ」と考えることです。オムレツが好きな人だけで集まっても世界は広がっていきません。「世の中にはいろんな考え方があるし、あっていい」という感覚で、いろいろな人にいろいろな手段で出会っていってほしいと思います。そのときには勇気も必要ですが、このセミナー参加者のみなさんは「参加登録する」という一歩を踏み出せています。これからも、そうしたマインドをもつことが大事だと思います。

ものごとの見方を話題にディスカッションする伊藤先生と池上先生。

 

――オンラインの授業やセミナーが増えています。「オンラインであること」のよい側面と課題について、それぞれどう見ていますか。

伊藤:素敵なことは多いと思います。フレキシブルに対応できるメリットはすごくあります。そのとき大事なのは、やはり考え方です。たとえば、セミナー参加者が定員の500人を超えそうだというとき、池上先生や日産財団のみなさんは、柔軟にものごとを考える構えがあったから、定員を増やして参加してもらいましょうと切りかえられたわけです。

デメリットについては、学生の立場からすれば、キャンパスライフが失われてしまったダメージは極めて大きいものがあります。オンラインの授業を受けて、かえってアナログのよさがわかったと私は前向きに捉えていますが、大学の活動のすべてがオンラインになってほしくはないですね。この部分はアナログで、この部分はデジタルでと、ハイブリッドの形になっていってほしいなと思います。

池上:伊藤先生の考えに賛成です。オンラインかリアルか、どちらか100%でいいということはまずありません。リアルな授業だと拾えなかった学生の声も、オンラインの授業ならチャットで拾えるというプラスの面はあると思います。一方で、リアルな授業でこそ得られるような感覚がわかないというマイナスの面もあります。キャンパスライフやサークル活動でもおなじことがいえます。

高校などでも、これまでリアルが当然だった修学旅行をどうするかといった課題はあるでしょう。たとえば、リアルに旅行をするとともに、オンラインで訪問先を学んだり、安全を確保したりするといった、ハイブリッドな考え方ができれば、世界はますます広がると思います。

オンラインに移行することを面倒なことと思うかもしれませんが、それも「新しい学びのチャンスだ」「世界広がるチャンスだ」と捉えると考えや視野は広がる気がします。フェースブックのインターフェースが最近変わって違和感があったのですが、元に戻さず新たなインターフェースを使うのも惰性から脱却するチャンスです。身の周りの小さなことでもよいので、多少違和感があっても何か新しいことをするのが柔軟性を維持するのには必要だとも思っています。

 

セミナー参加者と学校の未来を語りあうQ&A

保護者の方:コロナ禍のなか、子どもたちにとって必要になる力とはどんなものでしょうか。また、親はどう関わればよいでしょうか。

伊藤:私と池上先生に共通していますが、「楽しむ力」だと思います。うまく行くことも、行かないことも「楽しむ」ということです。そして「楽しむ力」の背景には知識があります。知識があるからこそ「こういうのもありだよね」と楽しめるようになるからです。

親御さんが子どもになにかを強制するような時代ではありません。それとなく、お子さんが楽しめるような環境をつくることが大事だと思います。たとえば、遊園地に行くときワンセットで博物館にも行くといった誘導のしかたもあります。強制されていると感じさせないように、学びや知識につながることをあたえてあげられるとよいと思います。

池上:私も「学ぶことを楽しむ力」がいちばん必要かなと思います。それにより、変化に対してチャンスが広がるからです。

親ができることは、自分の過去の体験からすると「親も楽しむ」ことではないでしょうか。親が「辛い」と言っていれば、子どもは「辛いんだ」と思うでしょう。逆に、親が「学ぶって楽しい」という姿を見せていれば、子どもは「楽しい」と思って育つでしょう。親子でいっしょに新しいことを学ぶとおもしろいと思います。子どものほうが上手にできるものもあるでしょうが、親は素直に「上手にできたね」と認めることが大事です。私も、妻と息子といっしょに「Python」というコンピュータゲームの講座を受けたことがありますが、息子のほうがはるかに上手に学んでいました。

保護者の方:子の通っている中学校は、偏差値教育でがんじがらめです。視野を広げて、価値観のちがう人との対話を中学校や高校の教育現場に求めるのはむずかしいのでしょうか。大学入学までの未来は、どうすれば明るくなるでしょうか。家庭でどうサポートするとよいでしょうか。

伊藤:質問なさった方のお子さんの学校は偏差値教育でがんじがらめなのかもしれませんが、そうでない学校も多くあります。たとえば、受験指導を一切していない進学校もいくつもあります。日本の学校全体が偏差値教育一辺倒に見えないのは、私がいろいろな学校についての知識をもっているからです。もちろん、お子さんの通っている学校では偏差値教育の傾向が強いわけですから、学校外のものもうまく活用されるとよいと思います。「スタディサプリ」のような世界があるということもお伝えします。探せば、立地や費用に関係なく利用できるものは多数あります。親御さんがそうしたことを知り、お子さんに提示してほしいと思います。

池上:お子さんが、ストレスフルにならないようであれば、そのがんじがらめの状態に合わせるという考え方があってもいいのだと思います。人には得意・不得意や好き・嫌いがあるものです。

もし、お子さんが偏差値以外のなにかに興味をもっているのであれば、そのことに対してどのように価値をつくれるかを考えることが大事になります。時代によって何が価値を持つのかは変わります。たとえば、40年以上前の私が学生子供のころ、「ゲーム・センター」や「ゲーム」といえば「不良への道の第一歩」と見られていましたが、いまはeスポーツがあります。価値がないと思われているものごとでも、興味や考え次第では価値あるものになります。

偏差値偏重を変えようとする日本の動きはありますが、3年や5年も待てないという親御さんもいるでしょう。その場合は、お子さんにとっての選択肢を変えてあげるのも手です。それはドロップアウトしたのではなく、別の選択肢を選んだのにすぎません。

伊藤:偏差値教育と聞くと「よくない」と思われる部分はおおいにあります。しかし、「それはそれでありだ」という部分もあります。そもそも日本の受験制度は、中国の科挙の影響を受けています。東洋的な入試方式に、新たに欧米式の方式が入ってきて、いまの受験制度となっています。中国、香港、インドなどの偏差値教育重視の国にも、カリスマ講師たちがいて、彼らが経済力を伸ばしています。偏差値教育から脱するほうがよいというエビデンスがあるわけでもありません。偏差値教育を受容できるのであれば、その教育のなかで頭角を現させるのでもよいと思います。

 

池上先生の推薦図書その1。『ドラえもん 最新ひみつ道具大事典』(藤子・F・不二雄監修、小学館)と『絶望を希望に変える経済学』(アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ共著、村井章子訳、日本経済新聞出版社)。「セットで読むことで思考が広がります。ドラえもんには、イノベーションのヒントがたくさん詰まっています!」

 

Q&Aセッション:

高校生:変化する未来が待っているなか、どのような基準で文理選択をすればよいでしょうか。まだ、やりたい仕事や情熱をもってとりくめることが見つかっていません。いま興味あることを将来の仕事の軸にするのも安直すぎる気がします。世の中の仕事を1割も知らないなかで、仕事や人生を設計してよいものでしょうか。そもそも文理選択は必要なのでしょうか。

伊藤:「文理選択が迫っている」というリアルな課題がある以上は、選ばないとなりません。理系から文系に転じることはできても、文系から理系に転じることはなかなかできなので、「迷ったら理系にしなさい」と言っています。われわれの年齢になっても知らないことは盛りだくさんあります。「行っちゃえ」の心でやってみて、むだになることはありません。どんなことでも努力して、笑えるものにできれば、すべての努力が欠くことのできないピースになります。

池上:伊藤先生の言うとおり、理系を選ぶほうがその後の文系へのシフトは、逆の場合よりもしやすいと思います。文理選択については、意味があるといえばありますが、ないといえばありません。文理の両方が必要になるからです。たとえ文系に進んでも、理系的要素を学んでおいたほうがよいですし、逆に理系に進んでも文系的要素を見ておくほうがよい。どちらも必要になります。

ビジネスマンとして仕事を始めたとき、私は文系職でしたが、数字の素養は必要になりました。一方、理系職の人も、幹部などになるとリベラルアーツを学ぶようにと言われるようになります。

池上先生の推薦図書その2。『17都道府県の歴史と地理がわかる事典』(伊藤賀一著、幻冬舎新書)と『幸運学 不確実な世界を賢明に進む「今、ここ」の人生の運び方』(杉浦正和著、日経BP)。
「伊藤先生の本はリベラルアーツを学ぶのにおすすめです。『幸運学』は運のコントロールのしかたが科学的に書かれています」

伊藤:池上先生のいまのお話は、「学ぶなら日本史か、世界史か」というのとそっくりです。どちらも必要になるからです。俯瞰的視点をもって「いまは優先順位の高いほうを選んでいるにすぎない」と考えてほしいですね。

さらに語りあうセミナー終了後の追加Q&A

学生:政治に興味をもっています。変化の激しい時代のなかで、どこに着眼して学んでいけばよいでしょうか。

伊藤:政治家と官僚のちがいについての知識がないと、政治を理解できないと思います。政治家は、国民や選挙区の人たちのことを考えることが第一となります。一方、官僚は、国民よりも国に視点を向けていないとおかしい。本を読んだり、スタディサプリを使ったりして、こうした最低限の知識を得てほしいと思います。

池上:政治・経済の教科書はベースとして見ておくとよいと思います。加えて、いまいろいろな政治家がオンラインで発信しているので、そうした発信をフォローすることも手です。ただし、一人の政治家だけをフォローするとアンバランスになるので、意見の異なる政治家たちのなかから、気に入った数名人を選ぶとよいでしょう。

伊藤:つねにバランスをとろうとすることが大事です。たとえば、政治家は理想主義者と現実主義者に分かれるので、両方をフォローするとよいでしょう。新聞にも左右の傾きはあるので、今日はこの新聞、次はべつの新聞といったように読むとよいでしょう。

池上:普通に使われるのと意味が異なる政治分野のビッグワードがあります。「リベラル」はその例です。それがなにを意味するのかを最初に勉強しておくとよいかもしれません。

伊藤:米国と日本でも「リベラル」の意味が異なってきます。また、大学生でも「保守」と聞いて共産党を思い浮かべたり、「革新」と聞いて日本維新の会を思い浮かべる人は多いと聞きます。用語を勉強するというのは、受験勉強での潮流にもなっています。

学生:人工知能の時代が到来するなかで、語学学習の重要性はどうなるでしょうか。

池上:人により語学の必要度は変わってくるかなと思います。「人工知能に任せればいい」「苦手な語学はツールに頼ればいい」という人で出てくる可能性はあります。ただし、おたがいにツールを介さずリアルに自分の言葉で話しあうほうが信頼が増す場合も出てきます。いずれにしても、ツールを使えるようになっておいたほうがよいでしょう。

伊藤:「ググればわかることを勉強してなにになるか」という話と似ています。たしかに、翻訳機や自動運転機能を使えばいいという考えもありますが、自分でその知識をもっているほうが圧倒的に得だと思います。とくに語学力のような対人コミュニケーションでは、スピード感を異なってくるので、余計にそういえます。私は「体力や教養は武器や防具であり、語学力は翼だ」と思っています。外国語を勉強することで日本語のよさがわかることもあります。また、数学の数字や音楽の音も、世界で通用する共通言語だと思っています。

中学・高校の教員:答なき世界に挑戦することの重要性を痛感しています。一方で、なにかに挑戦するには、従来の教育で身につけるような、考え方や武器の使い方の「型」も必要と考えています。従来の教育と答なき世界への挑戦の関係性をどう考えますか。

伊藤:答なき世界に踏みだすときは「失敗してもよい」と考えています。私は「鶏口牛後」という言葉が嫌いです。大きな牛の尻尾から挑戦をはじめて、がんばってクリアできたら、つぎに大きな牛の尻尾に挑戦すればいい。負けに行くことで学べることは多くあると思います。

池上:参考になると思ったのはフランスの考え方です。日本人は「和をもって貴しとなす」の心をもっていますが、フランス人は「議論のための議論をすべきだ」という考えの下で育っています。「よりよくするために反論することはよいことだ」という価値観があります。和をもってバランスをとることと、あえて違う意見を出して新たなものを創ることのふたつがうまく存在するとよいのではないでしょうか。

参加者のみなさん、池上先生、伊藤先生、川嶋さん、ありがとうございました。今後も日産財団は、早稲田大学Future of Education研究会とのコラボレーションによる研究活動やイベントを展開してまいりますので、ご期待ください。